
母の日に、もう会話の記憶は残らない母を想って
5月の第2日曜日、母の日。
毎年この時期になると、世間は「ありがとう」の言葉や、花や贈り物であふれています。
でも今年は、ある記事を読んでいたら、ふと昔を思い出して、少し感傷的になってしまいました。
もう一緒に出かけることも、母の料理を食べることもできない
私の母は、数年前に病気で倒れ、いまは会話はできても記憶が残らない状態になってしまいました。
昨日のことも覚えていられない。
それでも、笑いかければ笑い返してくれるし、声をかければ返事をくれます。
ただ今では、母は寝たきりの状態です。
もう一緒に出かけることも、母の料理を食べることもできません。
それが現実で、時間の重さを痛感する日々です。
昔の私は、反抗期のある子どもでした
若い頃の私は、典型的な反抗期のある子どもでした。
ぶつかったり、距離を取ったり、「ウザい」なんて思った時期もあった。
でも今は、当時の母の姿や言葉が、いろんな場面でふと思い出されて、
「ああ、自分はちゃんと愛されてたんだな」と気づきます。
だからこそ、今はできる限り会いに帰る
現在は離れて暮らしています。
だからこそ、長期休暇は必ず会いに帰るようにしています。
たとえ会話が続かなくても。
たとえ、今日の出来事が明日には忘れられてしまっても。
いま一緒に過ごせるこの時間が、何よりの母の日の贈り物だと思って。
母の日は、想いにそっと向き合う日
記事を読みながら、思い出が心の奥から浮かび上がってきました。
嬉しかったことも、反抗していた自分も、今の母の笑顔も。
母の日は、記念日というより、「今ある関係を静かに大切に思い直す日」なのかもしれません。
母にとって、誇れる人間になりたい
昔なら「何をあげようかな」くらいの感覚でした。
でも今では、「会えること」そのものが贈り物なんだと思っています。
母と過ごせる時間は限られているかもしれない。
でも、会いに行って、手を握って、名前を呼んで――
それだけで、心は通じ合えると信じています。
今では、本当に感謝しかありません。
言葉にはしきれないけれど、母がいてくれたことに、ただただありがとうと伝えたいです。
そして今、私はこう思っています。
「母にとって、誇れる人間になりたい」
それがもう直接伝えられなくても、
私の生き方を通して、母に届けていきたい。
そんな想いを胸に、これからも生きていきます。
みなさんはどんな母の日を過ごされましたか?
もしよければ、あなたの思いもぜひ聞かせてください。
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