はじめに
最近、ジャーナルを続けている中で、自分自身にとって大きな気づきがありました。それは「人を意識しないと集中力が高まる」ということです。職場では雑音や人間関係に振り回され、理不尽さを感じて気持ちが削られる一方、リモート勤務のときは驚くほど自然に集中できている。この違いを振り返ることで、自分に合った働き方や生き方のヒントが見えてきました。
職場ではなぜ集中できないのか?
私は正直、職場にいると「めんどくさいな」と思うことが多々あります。仕事そのものが嫌いというわけではありません。むしろ取り組み始めれば集中できます。ただ、問題はその前に訪れる「人間関係のノイズ」です。
- 同僚の雑談や物理的な雑音が耳に入る
- 人の目や比較を無意識に意識してしまう
- 理不尽な言動に気持ちを乱される
仕事を始める前から、すでに気持ちが消耗してしまう。理不尽なことを気にする性格だからこそ、余計に「人間関係がめんどくさい」と感じてしまう。これは自分の課題でもあり、成長の余地でもあると気づきました。
リモートだと集中できる理由
一方で、リモート勤務だと自然と集中できています。体調が万全でなくても「やり始めれば集中できた」日が何度もあります。なぜリモートだと集中できるのか?理由はシンプルです。
- 人がいない=余計な刺激がない
職場では視線や言葉、空気感など多くの刺激が入ってきます。リモートではそれがゼロになり、意識を仕事に向けやすい。 - 環境を自分でコントロールできる
場所・音・休憩のタイミングを自由に決められる。自由さが心の余裕を作り、集中力を後押ししてくれる。 - 比較対象がない
周囲と比べる必要がないから自分のペースに没頭できる。余計な劣等感や焦りがなくなり、結果として集中が深まる。
つまり、リモート勤務は「理不尽や雑音を気にしなくていい環境」が初めから組み込まれているのです。
気づいたこと:自由と自制はつながっている
ここで大きな気づきがありました。「自由だから集中できる」という感覚です。これまで「自由だとサボってしまうのでは?」とどこかで思っていましたが、実際には自由な環境だとむしろ集中できるし、成果も出せています。これは意外な発見でした。
ただし、この自由は「自制」とセットである必要があります。飲みすぎて午前中をつぶしてしまった日の午後に集中できたとしても、朝から働けなかった自分を責める気持ちが出てきました。結局、自由に過ごすためには自制がなければ本当の意味で成り立たないと実感したのです。
理不尽を気にしないことも自制の一部
もう一つの課題は「理不尽を気にしてしまう自分」です。人間関係がめんどくさいと感じるのは、突き詰めれば理不尽を気にするから。逆に理不尽を気にしなくなれば、もう一段成長できるはずです。
禁欲や禁酒と同じように、これは「自制の訓練」だと捉えています。衝動をコントロールするのと同じで、理不尽に反応しないよう自分を鍛える。これができれば、雑音の多い職場でも「自分に集中」できるようになるはずです。
独立を見据えたシミュレーション
強く感じているのは、独立したら全部自分次第になるということ。やる/やらないを決めるのは完全に自分。今日みたいに午後からリモートで集中して働いた日は、独立後のシミュレーションそのものでした。朝から働くのも午後から集中するのも自由。ただ、その選択に責任を持つのは自分しかいない。つまり今の働き方は、独立を見据えた練習の場でもあるのです。
明日から実践すること
- 人を意識しないで仕事をする(理不尽や雑音をノイズとして流す)
- その日の気づきをジャーナルで振り返る(感情と行動を言語化)
- 自由=自制とセットという前提を常に思い出す
小さな実験:職場でも“リモート感覚”を持ち込む
- ノイズキャンセル or 耳栓で物理的雑音を減らす
- ポモドーロ(25分集中+5分休憩)で自分のリズムを死守
- 「理不尽=訓練の場」とラベリングして反応を手放す
- 朝一にやること3つを箇条書きして、それ以外は切り捨てる
まとめ
ジャーナルを続けて感じたのは、「見つめ直すこと」そのものが成長になるということ。飲酒や禁欲の習慣と同じで、気づきを記録し振り返ることで、自制の力が少しずつ育っていく。
- 自由だから集中できる
- 自制があるから自由を守れる
- 理不尽を気にしないことも自制の一部
この気づきを大切にして、これからも一歩ずつ進んでいこうと思います。
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